- 沿線火災で遅刻。五日ぶりに出勤した。色んな人から変わるがわる体調を心配される。本当に優しい職場だ、ありがたい。だけど前よりその優しさに無駄に臆さないでいられている気がする。ビルの12階から電車が行き交う様子を見ながらごはんを食べた。ただぼうっと見ているだけでも楽しい。寝込んでいた三日で強制的に色々なものが遮断され、これまでいかに情報が多い日常を送っていたかということに気がついた。天気が良かったので、少しだけビルの中庭に出てコーヒーを飲み、寝た。起きたら誰もいなかった。目黒の小鳥の声がしきりにした。ゆで卵とサラダチキンを茹でた。
- 雪が降る。会社で鼻水が止まらない。会社ビルの一階にポケットティッシュを買いにエレベーターを往復する。退勤したら18時の空の色が、いつもより少し明るくなっているような気がした。病気から復活して、お店でお酒を飲むと信じられないくらい顔が赤くなるようになってしまった。体温が急に上がって耳が詰まっていく。何となくさみしい感じのする西東京の夜の雰囲気が、ずっと慣れない。夜の道をぐんぐんひとりで歩き、その時わたしはなぜか少しイライラしていた。なかなかうまくいかない。なぜかは分からない。いつもは使っていない部屋にぽつんと置いてあるベッドで寝た。湯たんぽが温かかった。
- 退勤時、少し苦手というか、少し怖れている先輩と帰り道が同じになってしまった。好かれようとすると空回りする。ホントはこんなことが話したいわけではない。誰かのためにわざわざおどける元気がない。最近、無意識的に、人と会う前にはかならず今の自分の心の形を想像するようになった。人と言葉を交わすのにふさわしい心の形は、なだらかな道のような形で、ああ今は少しごつごつしているからもっと道をならさないと、良い方向にはいかないなあなどと思っている(会ってしまえば、そんなものは一瞬で無視されるものに変わるのだけど)。高山なおみ『帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。』が届き、読む。きちんと冷たい目を持っている人で、もっと好きになってしまった。
ひとりで暮らしてゆこうということ、自分で自分にご飯を食べさせるということは、自分の意地きたなさをはっきり目の前に見てしまうということだ。私は、そのことからできるだけ遠くにいたかった。(「彼女たちの、4月ものがたり。」より)
窓の外は雨が降っていて、朝からなんとなしに憂鬱な感じがするような、そんな気分を味わったまま。(中略)それでもずいぶん長いこと眠ってから「こころが寒いなぁ」と思って、目が覚めた。そしたら青い毛布の胸のところがすっかりはだけて眠っていた。そしてすぐに「こころをあたためないと」と思い、私は毛布をあごのところまでかけ直し、また寝た。ねぼけていたので。起きてみたら、いくぶん元気になっているみたい。(「青い毛布の胸のところが。」より)
- 職場でたまにやってる、会社の農園から採れた野菜を販売するやつ、で、ひと玉のキャベツ、ビーツ、フリルレタスをゲット。職場で仲がいいおばさん達に、「今日野菜の日よ!」と声をかけられる。夜、久しぶりの友人に会った。大陸でごはんを食べた。友だちって久しぶりに会っても一緒にごはんとか食べられるからすごいなあと思った。帰りぎわ彼女が、昔一緒に行った聖蹟桜ヶ丘のリサイクルショップで買ったという、木でできた動物のおもちゃと、女の子が描いてある灰皿を急にくれた。小さなもらいものが本当にうれしい。杉咲花さんドラマを見た。旅行のシーンの文菜の気持ちがすべて分かってしまって、嫌だった。自分が過去に感じたことのある気持ちをなぞっていくようで、それを今まさに本気で感じている主人公を見て、イライラしてしまった。無邪気だった、それはやっぱり良いことだけではない。
- 誰かに何かを説いている時、自分に言い聞かせているのではないかと思う瞬間がある。その人のことを思って話すのと同じくらい、自分が自分自身のために、一つずつを確認するように。結局それは、自分を癒しているだけのような気がしてくる。そういう日は、少し申し訳ない。先日、「智春ちゃんは寂しがりやだね、それにさ、耐えられないんだよ」と目も合わずに言われたことを思い出す。そのことが最近ずっと頭から消えてくれない。わたしはわたし以外の皆、何につけてもきちんと分かっているような気がする。だけどホントは誰も、そんなに何も分かっていないんだろうね。
- それいゆでひとりで8卓に座り、スコーンとミルクティーを頼んだおばあちゃんに帰りぎわ話しかけられた。おばあちゃんに話しかけられるのが一番うれしい。後輩たちに会った。ふんわりした会話だけをした。懐かしい感じだった。人ってこういう会話だけでも本来いいはずだけど、わたしはきっといつかは耐えられなくなってしまう。三人で食べたベトナム料理が美味しかった。後輩が話してくれた、小学校の時に教室で飼っていたハムスターが、ある日トイレに落ちて死んでいたという話が、まるで自分もそのクラスの一員であったかのように想像できてしまった。家に帰って自分の姿を久しぶりによく見た。金のような、ベージュのような、薄いピンクのような、色々な色の髪の毛に見えた。
- 近所のお寺に公園を見つけた。キャッチボールもバドミントンも縄跳びもできた。走っている時、頭の中はずっと空っぽで、ああいつもこうであればいいのにと思ってしまう爽快さだった。多くのものを見るということは、それと同時に目の前のすべてに対しほかの選択肢が頭の中に生まれてしまうということでもあって、それは良いことだけではないような気がした。夜は酔って、音楽を聴いて泣いた。あれは、安心してみたいという涙だったように思う。
p.s. 職場の先輩とお弁当を食べた。どういう話の流れだったか、「米元さんはそのままで、そのままの方が、素敵だと思います」とまっすぐに言われたこと、あれは夢だったのかもしれない。
